NEW ENTRIES
- ハイチとカトリック教会、そしてラジオ局(被災地レポート4) (04/17)
- ラジオ農民の声の完全復活は遠し(ハイチ地震の被災地レポートその3) (04/17)
- 雨季に入ったポルトーフランス(ハイチ地震の被災地レポート2) (04/17)
- ハイチ地震の被災地レポート(1) ポルトーフランスより日比野純一 (04/17)
- 【ハイチ地震】スタジオ全壊のコミュニティラジオが放送再開 (03/23)
- ハイチ地震による被災コミュニティラジオの現状を映像報告 (03/13)
- March 17th Wednesday ~Disaster Prevention Symposium“Information and Communication Assistance in disaster ”~ (03/13)
- 3/17に国際防災シンポジウム「世界の被災地と情報・コミュニケーション支援」 (03/13)
- 韓国メディアセンターMediACTを救え!オンライン署名活動にご協力ください (01/27)
- ハイチ地震 被災コミュニティラジオ救援活動スタート (01/23)
CATEGORIES
ARCHIVES
POWERED BY
OTHER
世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)の日本協議会が2007年6月23日に誕生しました。
世界の各地で活動する「コミュニティが所有、運営し、コミュニティの人々が参加する
非営利型のラジオ局」との繋がりを力に、コミュニティの課題解決につとめていくことが活動の目的です。
世界の各地で活動する「コミュニティが所有、運営し、コミュニティの人々が参加する 非営利型のラジオ局」との繋がりを力に、コミュニティの課題解決につとめていくことが活動の目的です。
|
繰り返しなりますが、ハイチの地震被害は想像を絶するほどの規模です。
全壊した大統領府とカテドラル(大聖堂)に行きました。 ハイチのカトリック教会大司教さんはここでなくなりました。 ハイチは人口の6割がカトリック信徒で、地縁組織がないため、 コミュニティにおいてカトリック教会が果たす役割は非常に大きいものがあります。 地震からのコミュニティ再建は教会の存在抜きには考えられません。 今回の地震で相当数の教会が全壊してしまいましたが、日曜日には瓦礫の前や空き地でミサが開かれ、たくさんの信徒が集っています。 先週末にカリタス・ハイチ代表のサージ司祭に会いました。 日本を出発する直前に神田裕神父(FMわぃわぃ会長)にカリタス・ジャパン経由で紹介メールを入れてもらっていたのです。 欧米を中心にそれぞれの国のカリタスが直接、支援に入っていて、 それをコーディネートする役割をカリタス・ハイチが果たしています。 5月中旬までに緊急活動が終わり、次は11月までの救援期の活動に入るそうです。 カリタス・ジャパンは現地での直接支援はせずに、 カリタス・インターナショナルに日本で集めた募金を送っています。 サージ司祭にそう伝えると 「直接、カリタス・ハイチと活動ができるので。もし可能になったらいつでも連絡をください、と伝えてください」と私の目を見て、ゆっくり、そして力づよく答えが返ってきました。 サージ司祭は、すごい大きな執務室のこれまた大きな机の向こうで、 こちらの要請に迅速に電話で対応して、いろいろな方を紹介してくれました。 その中の一人が、コミュニケーション担当のジーン神父さんです。 この神父さんは、とっても気さくでフットワークが軽くて一緒に町を歩いていても、 いろいろな人に笑顔で声をかけて、車を運転して知人をみつけると、 途中まで乗って行かないかと笑顔で誘います。 なんか、ハイチの神田神父さんみたいで、非常に親しみを持てました。 カトリックのラジオ局の代表もやっているので、尚更です。 AMARCハイチの代表のこともよく知っていてこの神父さんとなら何か一緒にできる感じがしました。 そのラジオ局「Radio Tele Soleil」は、地震で全壊してしまって、いまは壊れた教会の庭にある半分潰れたワゴン車中に放送機材を積んで、 その中の狭苦しい空間で朝の5時から晩の11時まで放送していました。若い放送スタッフ2人は庭でテント生活をしています。 ハイチの放送制度は、商業ラジオ、コミュニティラジオ、非業業放送の三種類あり、非商業ラジオはさらに公共ラジオと宗教ラジオに分かれます。 Radio Tele Soleilは非商業放送(宗教)のカテゴリーに分類されるカトリック教会が運営するラジオ局です。 ジーン神父さんの後をついていろいろか人を紹介してもらっていると、 たかとり救援基地時代の神田さんの姿とだぶりました。 阪神淡路大震災の被災地の神父とハイチ大地震の被災地の神父。 この二人の神父さんをなんとかしてつなぎたいと思いました。 (つづく) |
|
ハイチ地震で被災した仲間のコミュニティラジオを支援するために、
FMわぃわぃ代表の日比野純一が6日から国際協力NGOの BHNテレコム支援協議会の2名のスタッフとともににハイチに滞在しています。 現地からのレポートをお読みください。 ![]() 【4月6日】 ポルトープランスは阪神淡路大震災から1〜2ヶ月後の神戸のようです。 まちの至るところにテント村があります。 同時にたくさんの露天商の屋台があり、 人々の生活は切羽つまった近況状態からはやや脱した様子です。 しかし、全壊の建物だらけの町なのに、瓦礫撤去もほとんど手付かずの状態で、 倒壊した家やビルはそのままの状態で放置されています。 復興がどれだけの時間がかかるのか、それだけで察しがつきます。 午後からはAMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)の仲間である中間支援NGO「SAKS」のメンバーと、こちらでの活動についてのミーティングを持ちました。 7日からから首都ポルトープランスを離れて、コミュニティラジオのある農村部に行きます。 【4月7日】 7日から首都ポルトープランスを離れ、農村部の被災地に向かいました。 車窓からは、あまりに無残な状態のまま放置されている建物や 瓦礫が車道沿いに並びその合間に無数のテント村がありました。 行き交う車は、国連や援助団体の旗やマークをつけてものが 多く世界中の人々が支援に訪れていることがわかります。 ![]() 神戸のNGO「海外災害援助市民センター」(CODE)が活動拠点をおいている激震地の一つ、レオガンを通過して、いくつものを山を越えてポルトープランスとは 島の反対側にあるBianetという村に向かいました。 ![]() 途中、一回の昼食休憩を除いて、7時間の悪路走行でした。 道中の8割は舗装されておらず、その半分は岩がごつごつしている川底のような道で 地震の前からインフラが整備されていないことがよくわかります。 山道は、地震によって土砂崩れを越している場所が多々あり国連の重機が土砂を除いて、交通を確保してくれているのですがその最中にも土砂崩れが起き、恐る恐るの山道走行が続きました。 頭にバケツやポリタンクを乗せた女性達が道祖沿いを歩いている様子は車中から 見える当たり前の風景です。 ハイチの人々の暮らしは非常に貧しく、水道設備は主要な町を除いてはありません。 水道と同様に電気供給設備も十分に整っておらず人々は、 発電機や蓄電機を使って電気を確保しています。 机ひとつに蓄電機にコンセントをつないだ携帯電話充電屋が町には必ずあります。 ハイチでは固定電話の設備が国中を網羅しておらず携帯電話が唯一のコミュニケーション手段です。 道路、水道、電気、固定電話。日本では当たり前のインフラがここにはなく それはハイチ政府が社会基盤を整備できていなかったことの証です。 また、国土が山がちで、カリブ海に面した地域以外は畑に恵まれず、 その沿岸部もサトウキビとバナナの畑ばかりで、 穀物の畑を見ることはありませんでした。 山間部では、非常に急な勾配の山を活用して、 猫の額にも満たない畑を耕している農夫を車から何回かみかけましたが、 とても日本の段々畑といえるものではありません。 地震はそんなハイチを襲ったのです。 (つづく) |
![]() 世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)のハイチ地震救援チームから、スタジオ全壊してしまった「Radio zetwal Peyisan」(日本語の意味:ラジオ 農民の星)が3月21日13時13分に放送再開したという嬉しい知らせが入ってきました。Radio zetwal Peyisanは首都のポルトープランから西に50キロメートル、山間の8000人が暮らすFondwa村にあるコミュニティラジオ局です。村人の8割以上は非常に貧しく、電話もテレビも持っておらず、ラジオから情報を得ています。しかし首都から届く広域ラジオはフランス語の番組がほとんどで、現地の言葉であるクレオール語しか話せない村人にはRadio zetwal Peyisanが唯一のメディアでした。地震から70日、村人の手にラジオが戻ってきました。嬉しいです! 全壊したコミュニティラジオ局12局のうち、まず1局目が再建です。引き続きAMARC救援隊の活動は続きます。(写真は、新しい放送スタジオとアンテナを設置するAMARC救援隊) |
このページの先頭へ ▲






